いまに伝わる400年の歴史。
正式な記録によるものではありませんが、
市場としての起こりは古く平安時代のころ、すでにこのあたりに市が立っていたと推測されています。
時は経ち1615年、江戸幕府が京都に公認した
上の店(かみのたな)、錦の店、六条の店の三店魚問屋(さんたなうおとんや)の一つが錦市場でした。
それが、本格的な魚市場としての錦市場の始まりです。
錦市場の発展に地下水あり。
平安時代にこのあたりに市が立っていたと推測できるのは、この地が質の良い地下水に恵まれていたからにほかなりません。冷たい地下水は魚鳥の保存に適しています。さらに、人口の多い中心部にあったこと、位置的に御所への納入に便利であったことも錦市場の発展の理由として考えられます。
錦市場は京の食文化と共にある。
「京の台所」と称されることの多い錦市場。京野菜、琵琶湖の川魚、鱧、ぐじ、笹カレイ、湯葉、生麩など…。京料理の料亭や割烹だけでなく、おばんざいと言われる京都の家庭料理にも使われる新鮮な野菜、魚など旬の食材が一堂に集まってきます。京都独特の食文化にふれるのは他の場所では味わえない魅力です。お店の人から専門的な知識や食べ方などを聞くのも、楽しみの一つです。年末やお正月になると、前に進めないほどの人で賑うのも京の風物詩になっています。
だれが呼んだか、“くそ小路”。
御所に出入りする際に具足(鎧と兜)を外す場所であったことに由来し、平安時代に「具足小路(ぐそくこうじ)」と呼ばれていた錦小路。それが訛ったのか、「糞小路」と呼ばれた時代もあったとか。後年、錦小路と改名されています。